全校集会 ~校長講話「怒り」から「恕り」へ~
令和4年12月23日(金)
冬休みを前に全校集会では、情報化社会に潜(ひそ)むSNSの危険性について、校長と生徒課長から講話がありました。
校長講話では、まず「怒(ド)」と「恕(ジョ)」の意味の違いを知る上で、「白」の漢字の成り立ちが紹介されました。
漢字の「白」は頭がい骨の形から生まれています。頭がい骨には目や鼻がありますが、「白」の漢字は「曰」の部分がほとんどを占めています。「曰く」は「いわく」と読むことから「口」の部分を指しています。告白、白状、科白(セリフ)という熟語があることからも、「白」が「言う」という意味になることがわかるでしょう。
人が骨になっても人間本来の特徴は「口」であり、人間らしさは「言葉遣い」にあるのです。
「怒」と「恕」の漢字は見た目はよく似ていますが、意味はまるっきり違います。「怒」の「又」の部分は「手」を表し「力ずく」の意味です。一方、「恕」には「口」があり、「思いやりの言葉遣い」の意味が含まれます。「怒り」を「いかり」と読むなら、「恕り」は「おもいやり」と読んでも良いはずです。
人間の口は、思いやりのある言葉を伝えるようにできています。悪口を吐くか、思いやりのある言葉を言うかはその人次第、だから、言葉を磨くことは、人間性を磨くことでもあるのです。
相手の心を傷付ける誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)は、ブーメランのように必ず自分に返ってきます。
SNSに悪口を書き込めば、誰かのスマホや携帯に半永久的に残ってしまいます(「デジタルタトゥー」と言われています)。その書き込みが時限爆弾のように、将来、自分が就職や結婚しようとする時に「あの時、あんなヒドいことを書き込んでいたよね」と蒸し返され、自分自身を苦しめてしまうことは、多く人が指摘しています。
ですから、SNSには、他人の悪口を決して書き込んではいけないのです。
人間だれしも腹が立つことはあります。その怒りのピークは6秒間で過ぎると言われています。腹が立つことがあったら、深呼吸をして6秒間待ってみてください。
人の言葉は、相手を励ましたり、勇気付けたりする力を持っています。自分が他人を思いやれば、その人が今度は自分を助けてくれることもあります。その人が助けてくれなくても、代わりに神様がチャンスをくれたり、素晴らしい人と巡り会わせてくれたりします。
「そんな良いことないよッ」と言う人は、私の歳、59歳まで生きてみてから言ってくださいね。人生はそんなに捨てたものではありませんよ(笑)。
我慢も大切ですが、時として言うべきことはキッチリと主張しなければならない時もあります。爽(さわ)やかな自己主張をする時には、「私」を主語にしてみてください。例えば、「あなたがこの荷物を持ちなさいよ」ではなく「この荷物を持ってくれたら、私はうれしいです」というように、「YOUメッセージ」から「Iメッセージ」に替(か)えてみるといいと言われています。
言葉遣いを良くすると、運気が上昇するというのは本当です。今日から試してみてくださいね。
次に生徒課長から、心にしみる注意喚起(ちゅういかんき:注意を呼び起こす(話))がありました。
長年勤め上げた服部先生ならではの、生徒を思う熱い語りかけに、かたわらで聞いていて熱くなりました。
来年の全校集会には、誰一人欠けることなく、無事に、そして元気に登校してほしいものです。